障害を乗り越えて
きっと皆さんにも人生観が変わってしまうような体験があると思います。
今は、世界中で目に見えないコロナウィルスと戦う日々。
ここで私の身に起きた人生の中で、最初に乗り越えた障害といえる出来事は、交通事故です。当時の私にとってまさに人生最大の試練でした。20代前半、突如対向車が車線を越えて私の車へ。突然正面衝突の交通事故に遭い、生死をさまよい目が覚めた時は、悲しみに打ちひしがれて世界が崩れ落ちようでした。動かない体にも絶望しました。
入院中、骨盤・恥骨・顎骨折、頭部ひびが入り後頭部は晴れ上がり水枕のよう。顔もフロントガラスが飛んだんでしょうね、頭も顔もガラスで傷だらけ、全身打撲で動けない身体。入院中、阪神大震災も体験。寝たきりで動くことも出来ず、ベットから振り落とされそうになり、とても怖かったことを思い出します。
事故の後も、なんで私がなんで私が、と毎日泣き崩れ、動かない体にもがき苦しみ絶望していました。
それでも私は幼い頃から知っていたんですね。実家は自然の多いところだったので、夏から秋へ冬から春へすべてを移り変わるもの。人生にはリズムがあって辛くても変化は避けられないって。
家族や友達の優しさや理解にも支えられゆっくり時間をかけて体と心を癒すことができました。どんな時でも両親がずっとそばにいてくれる。両親は子供のころから何不自由なく、やりたいこともやらせてくれて、無条件に理解し、どんな相談にも真剣に聞いてくれて、どんな私も受け入れてくれました。
両親には感謝の一言です。この事故にあった時間、改めて両親の存在に感謝することができました。
今までの人生で一番の転機
交通事故は私の人生で一番の転機となりました。
一番の気づきは、両親への感謝の思い。この事故によって、当たり前に感謝。当たり前に両親という存在がいてくれることを深く考える時間となりました。そして気がついたんです「人生はこんなにもろいからこそ、みんな本気で生きて、一瞬一瞬をありがたく思わなきゃ」「自分の苦しみを本当に癒せるのは、自分だけなんだ」って。
”感謝する心””受け入れる心”のパワーのおかげで、交通事故にあったからこそ私は一つ前進できたと思います。それがなければ、とんでもない人生になっていたかも、と思うこともあります。
事故の後は大変なリハビリが待っていました。体を動かせることの大切さ、PTSDにもずいぶん長く苦しめられました。
もちろん、後遺症は今でも全くないわけでは無いですが、普通の生活ができることをとても感謝しています。あれからずいぶん時間が経ちましたが「人生のプロセスを信頼しよう」と。自分に言い聞かせています。
真っ暗やみにいるみたいな時でも、そこにはちゃんと光と可能性がある。
そのことを思い出すため。あれ以来もう家族や友達がいて当たり前、なんて思わなくなりました。不安な自分も受け入れて、いつも「大丈夫、大丈夫」とつぶやいています。
【大丈夫】この一言で、その後もいろんなことを乗り越えてきました。
ふとした瞬間、両親への感謝の気持ち、健康で入れることのありがたさを常に深く感謝するようになりました。
今は、目に見えないウィルス、コロナウィルスとの闘いでもありますが、毎日を当たり前に生きていることがどんなに幸せか、どんな道が待っていようと自分の人生を自分なりにベストを尽くして生きていくつもりです。
外出自粛の時こそ、英語力を高めるチャンスです。