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あなたにとって大きなチャレンジは何でしたか? 

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チャレンジ

 皆さんにとってチャレンジは何でしたか?これからチャレンジしようと思うことはありますか?

私の最初の大きなチャレンジは、一人で海外に売り込みに行った事です。

前に進む

自分の現実を受け入れたなら、半分以上、希望は手に入れたようなものです。たとえ病の床の中でも、たとえ能力や財力が乏しくとも、です。

ー聖路加国際病院理事長・名誉院長 日野原重明

私は本来、冒険好きで意欲的。交通事故の後、3年ほどリハビリをして、2年後に折れた顎の手術をすることが決まっていたので、2年間だけ仕事をすることにしました。

当時は特にやりたいこともなく、特に際立った取り柄もない私でしたが、漠然と「海外へ行こうかな」と思ったことがきっかけで本屋さんで偶然パッと開いた本のページに「海外研修あり」という文字に惹かれて面接した会社に就職しました。偶然見た「海外研修あり」の会社は、創業200年以上続く老舗の会社で、外観はお寺、中に入るとインテリアショールームのようなモダンなショールーム。面接に「毎度〜」と言いながら、スパスパスパッとスリッパで出てきたのはサザエさんに出てくる波平そっくりなお爺さん。コントの世界。

家から30分以内で行ける距離。が、応募した2番目の理由だったのに、その会社の企画採用第一号だった私は、企画って何?と社員全員が思ってたくらい、新しいことにチャレンジしたところだったので採用後すぐに、2時間半かけて外部契約しているとんでもなく遠い会社へ行くことになりました。

外部契約している会社の方も風変わりで、毎日いやでいやでしかなく、やめようと思った時、ヒョンなことから取引先の方に頼まれて副業をすることになり(会社には内緒で)、顎の手術後「何かすることがあったら、その費用にしようかな」と、漠然とした目標の貯金が楽しくなって2年続きました。顎の手術後は固定のために2ヶ月ぐらい上下の歯を針金で固定するため、話すこともできず、会話は筆談とジェスチャー。その間は歯と歯の隙間から液体を飲むだけ。おかげで超デトックス。食べれない上に、顔がアンパンマンのように膨らむため半年ほど人に合わない生活。膨らんだ顔を鏡で見るたび、顎痛いけど笑えるほど面白い顔になります。手術した先生も毎回笑いこらえるほどの膨らみに。プププ。。。

地に足をつけて

そもそも今の仕事で生計を立てるなんて想像もできなかった当時の私ですが、顎を閉じて話せない期間は、自分のバッテリーを充電できる期間として捉えました。PTSDもあったので、急に不安になったりメンタルが不安定で、心理学や精神的な面での勉強も沢山したおかげで心と体と健康について自分なりの考え方ができるようになり、心と体とのバランスが生きていく上でほんとに大切なんだなぁと思いました。自律神経を保つために瞑想したり、心安らかに地に足をつけて体も心もちゃんと向きあい、少しでもポジティブな影響を与えていこう、そんな気持ちにさせてくれた時間でもありました。

腫れが引くのを待ちながら、心のバランスをとりつつ1年ほどかけて、再スタートの準備をコツコツと始めました。

世界にはチャンスがいっぱい

いつもの居場所から離れてみると目先が変わって行き詰まりがパッと解消されたり思わぬスピードで前進できたりします

ー聖路加国際病院理事長・名誉院長 日野原重明

 

準備をしながら、ぼんやりと今いる場所からポーンと離れてみたくなり、何故か準備ができたら「そうだ、海外へ売りに行こう!」と思うようになりました。

海外という目標ができると自然に準備するものも定まってきます。コツコツと1年ぐらいかけて準備をし、とことんまで納得のいく商品ができたので、ロンドン、イタリア(ミラノ・フィレンチェ)、ニューヨークへ1都市1ヶ月の予定で3ヶ月半ちょっと行くことにしました。今は世界中パソコンさえあれば、メール1通送るだけで世界中の方と連絡が取れます。世界中の様子も携帯さえあれば、瞬時にSNSで情報が受け取れる時代ですが、当時はSNSもなく、雑誌が一番の情報源。雑誌で見たお店が唯一の資料。英語も片言、どうやって自分の商品を売り込んだら良いか全く分からなかったのですが、好奇心だけはあったので、とりあえず行ってみよう!とスーツケース1個持って旅立ちました。

 

そのときの気持ちは

気楽に挑戦しなさい。

構えると永続きしない。

そもそも挑戦しづらくなります。

「Take it easy!」(無理しないように)

ー聖路加国際病院理事長・名誉院長 日野原重明

です。

 

あと、これから体験するワクワクの気持ちが強くて挑戦できたんだと思います。

 1都市目のロンドンへ

ロンドンに到着した時からハプニングの連続。

迎えに来るはずの友人がいない。。。待っても待っても来ない。。。当時は無料通話できるラインもスカイプもなかったので、空港の公衆電話から電話をするしかない。しかし、どうやって電話をかけていいのかもわからない。。。なんとか連絡が取れた友人の家には超潔癖症のお姉さんがいて、1週間泊めて頂く予定が3日目に追い出されました(キッチンに水一滴付いていないお姉さんのお家。お姉さんは水滴を付けられるのが耐えられない。と言うのが理由でした。笑)。その後、ハイジの部屋みたいな、小さな三角窓がある屋根裏部屋のB&Bホテル(朝食付きホテル)に滞在することに。部屋には石灰がこびりついたヤカンが一つ。なんでここにやかん?シャワーは共同。そんな部屋に寝ながら天井を見つめ、「なんでこんなところに寝てるんやろ」と、笑えてきました。各都市、B&Bホテルに滞在していましたが、どうせならと思い、ニューヨークでは、スーパーモデルのケイト・モスが売れない時代に滞在していたホテル、とか、何かしら思い出になるホテルを選んで滞在しました。「そうか、あの有名人もこんなところに泊まってたのか〜」なんて思うと狭くて安いホテルの滞在も楽しめました。

滞在中は、調べてきたお店へ片っ端から毎日セールスへ出かけていました。お店に入る前は物凄く緊張しますが、「大丈夫、大丈夫」と口づさんでお店の中へ入ります。お店の方も、突然外人がセールスに来るものだからびっくりするんだけど、案外皆さん親切でフレンドリーに対応してくださいました。調べてきたお店以外にも毎日町中を歩いて、いいな、と思ったお店にアタックしたり、大きなお店は電話してみたり。英語を電話で聞き取るのって難しく、早口で話されるとさっぱりわからないけど、とりあえず窓口を聞いてマネージャーに取り付いてもらったりしていました。

今は世界中、パソコンさえあればどんな所でもメールでコンタクトできる時代です。SNSを見れば世界中の状況がすぐわかりますし、SNSに写真を上げれば瞬時に評価をいただける時代。当時は、SNSもなければ、各お店のホームページもない。なにより、お商売の方法を知らなかったもんだから、とにかく直接アタックしかない。と思っていたのでこんな方法でセールスしてました。

2都市目のイタリアは、ミラノとフィレンチェ。3都市目に、ニューヨークの順番で旅を続けました。

何が楽しく思えたのか

今までどこか人目を気にしていたり、なんとなく遠慮してしまうことが多かった人生で、人の目を気にせずチャレンジしている自分をとても誇らしく嬉しく思えました。3都市回った結果、商品は1個も売れなかったんですが、各都市全て評価はとてもよかったので、手ごたえを感じられたことが嬉しかったです。自分の商品を通じて、各国ごとに売れる商品のマーケティングができたこと、プレゼンテーションの仕方、売り方、アピールの仕方が毎日行なっているとみるみる上達したこと、どんな商品が売れるのか国ごとに違いを体感できたこと、等々。現地に行ってわかることが本当に沢山あり、経験全てが毎日新鮮でとても楽しかったです。

3都市とも、毎日売り込みに行ったお店にオーナーから返事はあったのか等、ふらっと訪ねに行くもんだから、スタッフの人たちとも結構仲良くなって、各都市ごとのお店の成り立ちとかを勉強させていただいたり、各都市で働く日本人スタッフに出会った時は差別の話を聞いたり、お店の愚痴も聞くようになったので、国ごとにお店の成りたちや仕組みなどを現場の皆さんから教えていただきました。

何より、マーケティングの感覚をその旅の間に勉強ができたのが1番よかったです。

失敗をどんな風に対処した?

結局は感謝の気持ちがキーポイントだったなぁとしみじみ思います。言葉が話せなくても一生懸命プレゼンをして、どの方に対しても「話を聞いてくれてありがとう」と感謝の思いを伝えると、皆さんオーナーの方に繋げるように協力してくれますし、こんなお店もあるよ、と教えてくれたり、この国ならこんな風にした方がいいよ。と、アドバイスをくれたり、資料の中に間違ったところがあると指摘して直してくれました。失敗を恥ずかしがらず、なんで失敗したかわからない時はマインドをオープンにして聞く、そして頼る(頼りすぎない程度に)。です。

成長と変化

旅から帰ってきてすぐ、誰に紹介してもらったか忘れてしまいましたが、地方雑誌のカメラマンの方に取材を受けました。その時に、「実はこないだ3都市へ売り込みに行ってたんです」。という話をしたら、「面白いっ」て言ってくださり、「東京で知り合いが編集長しているから紹介してあげるよっ」。と言われて紹介していただいた方が、お会いしてびっくり、当時日本で一番売れている雑誌の編集長の方でした。

 

その編集長に質問されながら、「なんでこの商品を作ったか」、「どうして海外へ売り込みに行ったか」、「どんなお店にセールスへ行ったか」、「どんなセールスをしたか」、「そこで体験した事」、「失敗したこと」、「勉強したこと」、「出会った人」、「日々の出来事」等々を話していると「めちゃクチャ面白い!すごいね!女性が一人でそんなことするなんて!」と、目を見開き、時に手を叩いて爆笑し、話を聞いてくださいました。

 

私は、あまりにも喜んでいただけるので、こちらも「体験談を話すだけで、こんなに爆笑がとれるのか」と、話しきった後になんとも言えない満足感でいっぱいになりました。

 

帰り際、編集長が「商品ってどのくらいあるの?全部送ってよ。」と一言。

「ありがとうございます。わかりました。帰ってからすぐに送ります。」とお返事。戻ってすぐに全商品をお送りし、1ヶ月ほどたったころ、雑誌1冊と共にサンプルが返却されてきました。

 

届いた雑誌を開いてびっくり、別冊付録にどどーんと自分の商品が特集されていました。しかも、見開き2ページにどどーんと。

すぐに雑誌を見た友人から電話がきて、友人は開口一番「雑誌にいくら払って掲載したの?」という問い合わせ。

私は、「体験談を話しただけ」。と、話すと「信じられなーい!」と、友人は電話口で叫んでいました。彼女は結構大きな企業に勤めていたのですが、その雑誌で特集をするのはよほどらしく、有名なブランドがお金を払っても掲載してくれない雑誌とのこと。そんなことも初めて知りました。

 

当時の雑誌の影響力とはすごいもので、すぐにいろんなところからお電話をいただき、雑誌掲載がきっかけで友人の会社からもお仕事をいただくことになりました。海外へのチャレンジは行く先々で体験談としてネタとなり、自分の価値観を形にした時、それを受け入れてくれる人がいる。それが自分に対して大きな自信となりました。

縁を繋いでいただいたカメラマンの方と編集長に感謝です。

 

飛び立つ準備

新型コロナウィルスの終息がいつなのか、今は予想できませんが、これから終息に向けてどんな選択肢があるか、どう行動すればどんな結果を招くか、この機会に改めてどう行動するのがいいか、考えてみようと思います。

自分がどうしたいのか、気持ちがはっきりしてくると“変容”が起きます。パワーもみなぎってくる感じもします。「夢見がちな人」と「夢を生きる人」の違いは行動のあるなし。

 

「できると思う者も、できないと思う者も、たいてい正しい」―ヘンリー・フォード

 

今は時代の流れも速く、世の中の仕組みが変わるサイクルも早いです。初めの1歩を踏み出すのは怖いかもしれません。失敗するかも、と思うから。でも失敗も経験として受け入れれば勉強になるし、次に進む知識も得られます。

 

ショックは挫折(クラッシュ)するか、チャンスにするか、のどちらかです。

ー聖路加国際病院理事長・名誉院長 日野原重明

 

 

 

お家時間を有効に。英語力を高めるチャンスです。