人生100年時代と言われるようになりましたが、
現実として元気に100歳を迎えられるお年寄りは多くなく、
たとえ長生きしても、心身共に幸せな老後を送れるとは限らないと家族を見て思う。
家族が、職場でいじめにあい、
人格が変わるほどの鬱になり、
追い込まれ、休職する事になった。
いじめたグループの長は、
人を助ける側の立場である医者と看護婦である。
何もしていない家族一人に対して、
グループでいじめを続けていた。
いじめられた本人にしかわからない、
恐怖、つらさ。
いじめにあい、
精神的にも壊れてしまった家族を見て思う事。
限りある命をどう生きるべきか。
5年前に105歳で亡くなられた内科医・日野原重明さんは、
講演録「生きる事の質」(岩波現代文庫)の
序文にソクラテスのこんな言葉を引用されています。
「大切にしなければいけないのは、
ただ生きる事ではなくて、
良く生きるという事なのだ。」
(※ソクラテスの弟子であったプラトンが自著「クリトンで紹介」)
良く生きるのはどういうことなのか。
「いのちは、その長さよりも質であり、
深さであることに気づかなければならない。」
と日野原さんはいう。
その言葉をしっかりと受け止め、
どう、残された日々を生きるかを
一人一人が真剣に考えなければならにと思う。
いじめにあう前は、一生懸命に生きていた家族。
質も深さにも気づいて大切に生きていた家族が、
いじめで、残された日々を毎日泣き苦しみながら生きている。
いじめる人は、その人の人生がどうなるかわかっていじめているのでしょうか。
医者である立場の人間が、いじめをしても、医者として生きる日々。
どうしようもない気持ちと、やり場のない思い。
必死で、壊れた心を取り戻そうとしても、戻せない家族。
癒されることのない心の傷。
10年たってもフラッシュバックして消えないいじめの恐怖。
人が人を傷つける。
取り戻せない時間。
人生が変わった瞬間。
いじめる人に言いたい。
「大切にしなければいけないのは、
人をいじめるのではなく、
人を追い詰める事でもなく、
貴方自身がどう良く生きるかという事なのだ。」
世界から、いじめや偏見、争いがなくなり、
いじめによって傷ついた人が
一人でもなくなることを祈ります。